検索 トップ 掲示板 お気に入りに追加 このコミュニティに参加 ドヴォルザーク学習期 1855年、ドヴォルザークの両親はネラホゼヴェスを引き払い、 ズロニツェに移って飲食店を始めた。 翌年になるとドヴォルザークは チェスカー・カメニツェという町で フランツ・ハンケという教師にドイツ語と音楽を学ぶことになった。 ところが、家庭の経済状況が悪化して 音楽の勉強を続けさせることが困難となり、 両親は帰郷させて肉屋を手伝わせようとした。 これにリーマンと伯父が反対し、両親を強く説得、 更には伯父が経済的負担を負う約束で 1857年にドヴォルザークはプラハのオルガン学校へ入学した。 経済的には苦しい学生生活であったが、 3年上の裕福な家庭の友人カレル・ベンドルと知り合い、 楽譜を貸してもらうなどして苦学を重ね、 2年後の1859年に12人中2位の成績で卒業した。 この時の評価は、『おおむね実践的な才能に長けている(中略) ただし理論に弱い』というものであった。 カレル・ベンドルとの友情は卒業後も変わらず篤いものであり、 ベンドルは後にドヴォルザーク作品を初演するなど 援助を惜しまなかった。 私の研鑽生活は今日も続きます。 今日も一つお利口さんになりましたとさ。 めでたし、めでたし!!! 裕美・ルミィヤンツェヴァ 作成日:01/30 22:11 Muse運営について |