検索 トップ 掲示板 お気に入りに追加 このコミュニティに参加 ドヴォルザークは熱心なワグネリアン 創作活動ではオルガン学校在学中から 習作は行っていたようであるが、 多くは破棄されてしまった。 コンクールの応募作品として 最初の交響曲が書かれたのは1865年のことである。 しかし、この交響曲は生前演奏されることはなかった。 ドヴォルザーク自身その存在を忘れていたと言われる。 1870年には最初のオペラである『アルフレート』を書き上げるが、 この作品はライト・モティーフの手法や 切れ目のない朗唱風の歌唱など、 ワーグナーの影響が強く表れている。 同時期に作曲された弦楽四重奏曲第3番や第4番にもその影響が濃く、 当時のドヴォルザークが熱心なワグネリアンであったことが窺える。 更に1871年には『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の プラハ初演に刺激されて、 歌劇『王様と炭焼き』(第1作)が作曲されている。 スメタナはこの作品を『正に天才の理念に満ちた』作品と評したが、 同時に『これが上演されるとは思わない』とも予言した。 その言葉通り、このオペラは4週間のリハーサルの末、 放棄されることとなった。 やはり、ワーグナーの影響も受けていたのですねぇ。 私の研鑽生活は今日も続きます。 今日も一つお利口さんになりましたとさ。 めでたし、めでたし!!! 裕美・ルミィヤンツェヴァ 作成日:01/30 22:12 Muse運営について |