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ドヴォルザーク、独自の道

ドヴォルザークは1871年に、
作曲に多くの時間を充てる為にオーケストラを辞し、
個人レッスンで生計を立てることにした。
こうした状況の中、翌1872年から作曲に取りかかった作品が、
彼の最初の出世作となった賛歌『白山の後継者たち』であった。

1873年3月9日、『白山の後継者たち』は、
学生時代の友人カレル・ベンドルの指揮で初演された。
民族主義の高まりもあり、この曲は成功を博し、
プラハの音楽界で著名な存在となる契機を得た。

この初演の際にかつて音楽教師を行っていた姉妹のうち
妹のアンナ・チェルマーコヴァーと再会し、
この年の秋に結婚した。

1874年にはプラハの聖ヴォイチェフ教会(聖アダルベルト教会)の
オルガニストに就任した。
この教会は伝統ある教会であり、
社会的地位はかつての楽団員のそれよりも向上し、
ささやかではあるが年俸が保証されることで、
新婚生活の経済状態を安定させることができた。

そして、この年からかつて放棄された
『王様と炭焼き』の台本を再び採り上げ、
これに第1作とは全く異なる音楽を作曲し、
ナンバー・オペラ(各曲が独立してナンバーが振られたオペラで、
ワーグナーの手法とは完全に逆行する)として完成させた。

1874年11月24日に行われた初演は大成功を収め、
音楽雑誌『ダリボル』には
『ドヴォルザークは、その名が金字塔として際だつような
地位にまで高められることだろう』
という批評家プロハースカの予言が踊った。
こうしてドヴォルザークはワーグナーの影響下から
徐々に離れていった。

こうして独自の道を歩きはじめたのですねぇ。
私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:01/30 22:12

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