検索 トップ 掲示板 お気に入りに追加 このコミュニティに参加 ドヴォルザークとイギリス こうしてイギリス訪問を大成功に終えると、 ドヴォルザークはヴィソカーという小さな村に建てた別荘にこもり、 寛いだ時間を送った。 この別荘は義理の兄にあたるコウニツ伯爵から土地を譲り受け、 プラハから60km離れた小さな村に造ったもので、 今やチェコを代表する作曲家となったものの、 田舎生まれの彼にはゆったりとした 田園生活を送る必要があったのである。 しかし、同年8月末にはウスター大聖堂50周年記念祭で 演奏を行う為に再び渡英、 また11月にはベルリンで指揮者デビューを果たすなど、 多忙な音楽家生活に変わりはなかった。 1884年の6月にドヴォルザークは、 ロンドン・フィルハーモニック協会の名誉会員に推薦されると共に 新作交響曲の依頼を受けた。 これに応えて作曲されたのが交響曲第7番である。 そして、彼はこの新作交響曲を携えて、 1885年4月に3度目の渡英を果たす。 ドヴォルザークとイギリスの蜜月はこの後も続き、 結局生涯に9回のイギリス訪問を重ねている。 私もイギリスには結構行っておりますよ。 2年間も住んでおりましたし・・・ 私の研鑽生活は今日も続きます。 今日も一つお利口さんになりましたとさ。 めでたし、めでたし!!! 裕美・ルミィヤンツェヴァ 作成日:01/30 22:16 Muse運営について |