検索 トップ 掲示板 お気に入りに追加 このコミュニティに参加 ドヴォルザークの帰国後 帰国後もドヴォルザークは暫く何も手に付かない状態にあった。 しかし、1895年11月1日、プラハ音楽院で再び教鞭を執り始めた。 作曲も再開され、アメリカを発つとき未完成のまま 鞄に詰め込まれた弦楽四重奏曲第14番も1895年の年末には完成した。 1896年3月彼は、最後となる9回目のイギリス訪問を果たす。 この直後、ブラームスからウィーン音楽院教授就任の要請を受けるが、 これを断った。 アメリカ滞在や最後のイギリス訪問を通じて彼は、 ボヘミアこそ自分のいる地だと思い定めたのだった。 この後、ドヴォルザークは、標題音楽に心を注ぐようになる。 カレル・ヤロミール・エルベンの詩に基づく交響詩の連作 (『水の精』、『真昼の魔女』、『金の紡ぎ車』、『野ばと』) を作曲したのも1896年のことである。 流石芸術家、結構移動が多いですねぇ。 私の研鑽生活は今日も続きます。 今日も一つお利口さんになりましたとさ。 めでたし、めでたし!!! 裕美・ルミィヤンツェヴァ 作成日:01/30 22:21 Muse運営について |