検索 トップ 掲示板 お気に入りに追加 このコミュニティに参加 ドヴォルザークの弦楽四重奏 ●弦楽四重奏曲第1番 イ長調 B.8 作曲1862年、初演1862年プラハ ●弦楽四重奏曲第2番 変ロ長調 B.17 作曲1870年? ●弦楽四重奏曲第3番 ニ長調 B.18 作曲1870年? ●弦楽四重奏曲第4番 ホ短調 B.19 作曲1870年? ●弦楽四重奏曲第5番 ヘ短調 作品9、B.37 作曲1873年、初演1930年プラハ ●弦楽四重奏曲第6番 イ短調 作品12、B.40 作曲1873年 ●弦楽四重奏曲第7番 イ短調 作品16、B.45 作曲1874年、初演1874年プラハ。L.プロハスカに献呈 ●弦楽四重奏曲第8番 ホ長調 作品80、B.57 1876年1月から2月に掛けて作曲された。 ドヴォルザークはこの前年の9月に長女を亡くしており、 その深い悲しみの影がこの作品に独特な翳りを与えている。 初演は1889年4月4日にロンドンで行われた 演奏会であったろうと推測されている。 ●弦楽四重奏曲第9番 ニ短調 作品34、B.75 1877年12月の作品。出版社ジムロックを紹介してくれた 恩人ブラームスに献呈する為に作曲された作品であり、 引き締まった構成にブラームスの作品を研究した後が窺われる。 また、スラブ民謡の要素がそこここに見られる点も興味深い。 1882年2月27日にフェルディナント・ラハナーらによって 演奏されたのが初演であったと推測される。 ●弦楽四重奏曲10番 変ホ長調 作品51、B.92 当時有名な弦楽四重奏団であった フローレンス四重奏団の主催者ヤン・ベッカーからの 「スラヴ的な弦楽四重奏曲」を書いてほしいとの依頼に応えて 1878年12月から79年3月に作曲された作品。 注文通りスラヴ情緒が横溢する作品である。 1879年7月29日ベルリンのヨアヒム邸で開かれた 私的な演奏会で初演された。 ●弦楽四重奏曲第11番 ハ長調 作品61、B.121 ヘルメスベルガー四重奏団からの依頼に応えて作曲された作品で、 1881年11月10日に完成している。 初演はヘルメスベルガー四重奏団がウィーンで行う予定であったが、 リング劇場の火事によりキャンセルされ、 1882年11月にベルリンでヨアヒム四重奏団によって行われた。 ウィーンでの演奏を念頭に置いて作曲された為、 ボヘミア的な要素は抑えられ、 ドヴォルザークらしさという点では一歩引いた作品となっている。 ●弦楽四重奏曲第12番 ヘ長調 作品96、B.179 『アメリカ』 (The American) 1893年の作品。1894年1月1日ボストンにて初演。 ●弦楽四重奏曲第13番 ト長調 作品106、B.192 1895年にアメリカから帰国したドヴォルザークが 約半年の休養を経て書かれた作品で、 1895年11月から12月に掛けて作曲された。 初演は1896年10月9日、プラハでチェコ弦楽四重奏団により行われた。 故郷に帰った寛いだ感覚に満ちた作品で 音楽評論家のクラップハムは この作品の前半2つの楽章について 「彼の室内楽曲の中で最もすばらしい」と賞賛している。 ●弦楽四重奏曲第14番 変イ長調 作品105、B.193 アメリカ滞在中に着手され、 チェコに帰国した後1895年12月30日に完成した。 第13番同様、祖国への愛情が凝縮された作品である。 ●弦楽四重奏の為の『糸杉』 (Cypřiše) B.152 歌曲集『糸杉』B.11から12曲を1887年に編曲したもの。 1曲1曲に様々な歴史が刻まれているのですねぇ。 私の研鑽生活は今日も続きます。 今日も一つお利口さんになりましたとさ。 めでたし、めでたし!!! 裕美・ルミィヤンツェヴァ 作成日:02/19 04:45 Muse運営について |