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フランツ・カフカという人物

1883年、プラハで高級小間物商を営むユダヤ人の家庭に生まれる。
当時オーストリア・ハンガリー帝国の都市であった
プラハで公用語だったのはドイツ語であり、
カフカもドイツ語を母語としている。
チェコ語も話すことができ、
またヘブライ語を学んだこともあったが、
執筆活動は一貫してドイツ語で行った。

教育を受けたのもドイツ語であり、
家庭は西欧的な同化ユダヤ人だったので青年期まで殆ど、
自らをユダヤ人と意識することはなかった。
次第にユダヤ人としての意識を強めつつあったカフカが
はっきりとそれを自覚したのは、
1910年に旅回りのイディッシュ語劇団に出会ってからであった。

カフカは自らを西方ユダヤ人、
つまりイディッシュ語や伝統や
村落共同体によって結びついた東方ユダヤ人ではなく、
一切の伝統から切り離された
西方ユダヤ人の最たるものとみなしていた。

常にユダヤ人としての自覚は持ちつつも、
手紙の中でユダヤ人に対する苛立ちや嫌悪を語り、
その一方でヘブライ語の勉強をしたりパレスチナへの移住を考えたり、
あるいは年下の青年にユダヤとは何かについて幾度も語るなど、
カフカのユダヤ性に対する態度は
生涯を通じて複雑な様相を呈していた。

多国籍文化に実に精通しておりますねぇ。
私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:04/03 22:50

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