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福井藩の謎

お散歩がてら京都国際ホテルへまでランチに行った帰り、
初めて油小路二条下ル西側の一帯が福井藩の藩邸があったことに気付いた。
というのは昭和43年11月、明治百年を記念して
京都市より贈られたという石柱が目に入ったからだ。

時代は江戸後期、藩邸がおかれたのは比較的新しく、
1831年の『京大絵図』に描かれているそう。
藩邸は藩の京都連絡事務所で留守居役が詰め、
町人の御用掛を指定して各種連絡事務に当った所らしい。

福井藩は1600年、徳川家康の二男結城秀康が封ぜられ始まった親藩の雄藩、
石高は最大六十八万石、江戸中期以後は三十二万石。
幕末に松平慶永が藩主となってから、人材を登用して藩政を改革、
水戸藩と共に幕府政治の改革に乗り出し、
更に公武合体運動を進め幕末政局に一方の旗頭となって活躍したとのことです。

この藩邸は幕末に於ける福井藩の活躍にとって大きな役割を果したようですが、
探れば探るほど京都と自分の関係が深まるので実に面白い。
松平の分家は徳川の命令で島原に置かれ山崎となったので、
この福井藩は自分の御先祖様とも深い関わり合いがありそう。
因みに今現在も水戸藩とは色々と御縁が・・・

これぞこの世の七不思議!!!
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:07/31 05:02

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