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6月16日(月) @京都・三条大橋&瑞泉寺

この日は霊的お導きでどうしても行きたかった瑞泉寺に合わせて、
スタバ@三条大橋店へ直行。
前日の失敗あってか、非常に賢く阪急で楽々河原町まで到着。
大好きな先斗町をお散歩しつつ、
この道は小さく細いようで何気に長いと毎度ながら思うのであった。

でもこの京都の趣溢れる路地が大好き、
瑞泉寺は何度も地図で確認したがいまいち入口分からず、
しかしながら歩いている途中に裏門があり、
『ここは入口では御座いません』的張り紙が目に付いたので、
特別迷うことなく場所を把握できました。

懐かしの鴨川、やはり三条河原は歴史深いね。
色々な人たちの念が凝縮されているところでもある。
首切りに、腹切り、かつて何度となく血に染まったこの川、
死者の霊を宥めにやってきて本当に良かったと感じました。

とりあえずはスタバでコーヒーを注文、
都内のそれとは大違いで妙に綺麗なのがこの三条大橋店、
アレェクスェイはブリオッシュ・フレンチ・トーストのメープル・シロップを
私はラズベリー・レア・チョコレートを食べました。

朝食後は三条大橋にもたれかかって色々な想いを巡らせてみました。
この場に自分を一度置いてみたかったのです。
橋の上から鴨川を眺め、360度見渡してこの風景を肌で感じ取ることができました。
遠い遠い昔の念を体全体で受け止め、瑞泉寺へ向かいました。

瑞泉寺ではひたすらお祈り致しました。
どうやらここにはお賽銭泥棒が出るらしく特別な記述があったので気の毒に思い
御賽銭箱に紙幣を無理やり詰め込んで、
自分の御先祖様たちにひたすら頼みました。

蝋燭を立てて、幸せになるべく人が幸せでいれますように祈りを捧げました。
そして、お線香をあげて、
守られるべく人がずっとずっと守られていますように強く強く願いました。
私の念が強すぎてか、周囲のカラスが一斉に集まってきて、
私の想いに応えるかの如く、大きな声で鳴いておりました。

そして、39名の無惨にも殺されてしまった罪なき霊の為にお祈りしました。
今では1人1人の墓石も出来て、人形も飾られ、
この墓地を守ってくれている団体があるとのこと、ちょっぴり安心致しました。

菊亭(今出川)晴季(菊亭公彦左大臣の息子)は自分の娘一の台を
豊臣秀吉の甥っ子、豊臣秀次の所へ嫁がせました。
菊亭(今出川)晴季の孫娘瑞松院は矢島八千子であり、
室町幕府最後の将軍足利義昭の孫娘です。
私の曾祖母が矢島であったことから、
何百年前であれどこの話は私の話、とても人事には思えないのです。

三条河原における39人の打ち首、豊臣秀次事件ひとつ取ってみても
家系図を追う度、自分の御先祖様たちと京都の繋がりに驚かされる次第ですが、
これを生き抜いた人達も実は沢山いるのです。

この事件は豊臣秀頼の誕生によって豊臣秀次が邪魔になった豊臣秀吉が
豊臣秀次謀反説をでっち上げたように思われがちですが、
『隆精院』をはじめ処刑を逃れた人も多くおりました。
小督の局の娘お菊、公家の梅小路氏に嫁いだ娘の二人、
豊臣秀次の母智子(日秀)、豊臣秀次の正室池田恒興の娘若御前などなど、
これぞこの世の七不思議!!!

しかし、実父豊臣秀次は豊臣秀吉によって高野山で切腹、
実母一の台は三条河原で処刑とは大層な悲劇、
その後、実娘『隆精院』は仏門に入って両親の菩提を弔っています。
ともあれ実母の非業の死を見た『隆精院』の悲しみは想像を絶するものだったようです。
今回『隆精院』及び、豊臣秀次の墓地を訪問出来て本当に良かったです。
自分と血の繋がっている罪なき人々が
かつてこの場で次々と殺害されたのかと思うと正直ゾッとしますが、
深い深い祈りを捧げてきましたのでもう変な胸騒ぎはしなくなりました。
39人の罪なき魂の御冥福をお祈り申し上げます。
とりあえずはめでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:08/29 02:52

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