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井伊直弼の最期

直弼の対応に憤った孝明天皇は戊午の密勅を水戸藩に発し、
武家の秩序を無視して大名に井伊の排斥を呼びかける。
前代未聞の朝廷の政治関与に対して幕府は態度を硬化させ、
直弼は水戸藩に密勅の返納を命じる一方、
間部詮勝を京に派遣し、密勅に関与した人物の摘発を命じる。

こうして開始された安政の大獄により多数の志士や公卿らを粛清したが、
尊攘派の怨嗟を受け、1860年3月3日に水戸藩浪士により、
江戸城桜田門付近で暗殺された(桜田門外の変)。
享年46、満44歳で没した彼の後を次男井伊直憲が継いだ。

著作に『井伊大老茶道談』、『茶湯一会集』などがあり、
肖像画に於いては狩野永岳の作と直弼の四男・井伊直安の作が知られている。
墓所は井伊家の菩提寺である豪徳寺、現在の世田谷区に位置する。

彼の人生、波瀾万丈そのものですが、
44歳で他界とは余りにも早すぎる死ですね。

私の研鑽生活は今日も続きます。
今日も一つお利口さんになりましたとさ。
めでたし、めでたし!!!

裕美・ルミィヤンツェヴァ
作成日:10/17 02:34

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